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文化・歴史

藤間流の踊り習い

戦後まもない昭和21から23年頃、沓形に藤間流の踊りのお師匠さんがいたので、今の沓形字本町の若い女の人達が中心になって踊りを習ってたの。その頃は今と違って部屋のなかで一人で遊ぶってことがなくて、みんなで何かをする、習うということが普通だったんです。一緒に習った人達は本町の近所の女性で、普段はお医者さんの博愛さんの家を借りて習ってたんですよ。

年に一度、温習会、踊りの発表会が沓形劇場であったんです。沓形劇場は、今の利尻電業の住宅のある場所でした。私たち踊りの弟子たちは年に一度の発表会でとても緊張しました。温習会には蘭泊や栄浜など沓形じゅうの人が集まってきてくれて、踊れるかどうかとても心配でした。たくさんの人達が集まってくれたのは、娯楽なんてなかった時だったから、集まることが楽しかったんだと思います。

私が覚えているのは二人で踊った「東八景」です。練習のために、博愛さんはもちろんのこと、あっちこっちの家借りて、蓄音機で音楽流して練習でした。でも、練習でみんなで集まることがとても楽しいことでした。踊りが終わったあとでみんなで語り合うのがよかったんです。

崎で海水浴

夏は天気になると泳げる人、遊びたい人は海に行ったんです。踊りのみんなで海に行って写真を撮ろうというので、崎に行ったんです。崎とは今のどんと岬、沓形岬のことです。その頃、みんなは崎って言ってました。

このころは崎でウニやアワビがたくさん採れました。友達が言ってたのは、男の人が海に入る時は、桶に紐をつけて浮かばせて潜って、アワビの小さいのを見つけると「磯のアワビの片思い」と言って桶にアワビを入れて女の子にくれるのだそうです。それを焼いて食べるのがとても美味しいと言ってました。

踊りや崎の海水浴は、戦後まだまもない頃、みんなで集まれることに自由を感じたことです。それはとても大切なことだったとふり返ることができます。

毎日の生活の励みになることがあるというのは、とても大事なことで、それはいつの時代も変わらないものだといえるんでしょうね、きっと。

語り;佐伯ハマさん 大正14年9月28日、沓形で生まれる。佐伯さんに9歳で養女に入り、沓形小学校高等科を卒業して札幌女子高等技芸学校に進学。昭和17年3月利尻に戻り沓形小学校教員となる。昭和20年家業の薬店を継ぐため退職。現在に至る。

採訪;平成14年2月16日

写真;昭和22年頃